04.
お久しぶりです(笑)
出来れば7/15までに、遅くても7月中には書ききりたかったんですけど色々あって書く気力が失せてました…今もお酒飲んでやっと書く気になった状態(笑)
Twitter経由でここを見ている人はなんとなく把握しているだろうし不特定多数が見ているところで詳しくは書かないけれど、7/16以降一日たりとも忘れずに毎晩怨念を送り続けているし、早くユーキャンとかで呪術が習えるようになる時代になるといいなって感じです。
もう文体も忘れてしまったのでいつもの感じで書きます(笑)
握手会の数週間後の3/21、渋谷公会堂…じゃなくてCCレモンホール行われたGRAND FINALEツアー初日に参戦しました。
卒業旅行兼ねて都内に行き、叔父さんと原宿で買い物してからのライブだったっけなあ…黒とピンクのチェックという厨二バンギャの制服のようなスカートを買った記憶があります(笑)
書き忘れていましたが私は地元と都内の往復でホールツアーのチケット代1枚分くらいかかる程度の田舎に住んでいます。なので都内に行くのも基本的には旅行レベルなのですよ…先月前半は週2で通ってましたけどね…(遠い目)
この日のライブは、私も友人もファンクラブ会員にも関わらずチケットを取り忘れたので、ローチケ先行で取って2階席での参戦でした。
近くには懐かしのラブシャッフル繋がりで来ていた玉木宏やAcid Black Cherry他のYUKIちゃん、少し遠くにはSHUSEさんの姿も見えるようなそんな席で(私の席からは見えなかったけどyasuも来ていたはず)、ライブ中は関係者席に目がいきがちでした(笑)
本編終わる間際に、通路へ少しはみ出していた相方にYUKIちゃんが「ごめんね~」と言いながら通り過ぎていった思い出…YUKIちゃんの携帯にチシャ猫の尻尾のキーホルダーが付いていて後日TDLに行ったときに同じものを買って携帯に付けた思い出…
確かこの時は丁度ラブシャッフルが放送中?終わった直後?だったのでアンコールでDAIGOが演じていた諭吉が出てきたり、諭吉が捌けた後にあきさんとしんぴーが2人でMCして、しんぴーが円周率覚えます宣言したりしていましたよね確か…
そして、何度目かのアンコールでDAIGOからの発表。
「7月に武道館公演が決定しました!!!!」からのSUMMER PARTY
あの瞬間は忘れもしないですよ…正直武道館公演よりも発表があったこの日のことのほうが鮮明に覚えています。
BREAKERZに出会ってから、テレビで度々「武道館でライブしてみたい」と言っているのを聞いていたので、夢が叶ったこと、そして発表の瞬間に立ち会えたことが本当に嬉しくて大号泣でしたよ…発表があって、ライブが終わって、渋谷公会堂から渋谷駅まで歩き、山手線で東京駅に着き、地元行きのバスに乗る直前までずっと泣いていました…………冗談ではなく本当に…確実にやばい奴だったなあの時の私…
あれから9年、BREAKERZ以外にも大好きなバンドがいくつか出来ましたが、夢が叶うまでの過程を見届けたのは今のところBREAKERZだけなので、だからこそこんなに自分にとって大切なバンドなんだろうなあと思います。
思い入れレベルが他とは違いすぎる。
渋公のイメージが強すぎてあまり記憶がないのですが一応ファイナルの仙台公演にも行っていて、初めて父親と参戦してヘドバンする私とREAL LOVEの絡みにドン引きされたことと、当時レア曲だったDESTROY CRASHERを聞けて大喜びしたことだけは覚えています。
後はあきさんの「追加公演もあるけどとりあえずファイナルだし一回ここで円周率披露したら?そこにいる男の子も「しんぺーすげー!」ってなるかもよ」
的な発言があったことは覚えています…9年前の話なのでとてもニュアンスだけど言い方が凄く可愛かったんだよね…
そしてそんな追加公演は平日だったので行けなかったんですよね…
4月末だったので入学早々休むなと言われ、6列目だったのに行けなかったんです…………どうせ半年後には欠席しまくる不良学生になるんだから行けば良かったなと今となっては思いますよ…
ちなみにその2ヶ月後にあったWISH前夜祭は、学校が15時までだったので終わってからバスに飛び乗って行きました。確か開演には間に合ったはず。授業終わった後バスに飛び乗った記憶はあるのにライブの記憶は全くありません(笑)
ということで09年春編でした。
7月も終わってしまったので気が向いたときにちょこちょこ書いていきまーす(笑)
03.進路とライブ
(個人的に)キリの良いところまで書いてしまおう
前述通り、ここから人生に大きく携わってきます。
ドハマりして追加公演にも行き、FCにも入会したわたし。
そうすると次に行きたくなるのは2/13に行われるBREAKERZ初のバレンタインイベント
しかし何度も書いているように当時の私は中3です。
都会の高校受験のスケジュールは分かりませんが、私の地元の公立高校の受験は3月でした。
ライブに寛容だった親も流石に2月のライブには行かせてくれる訳がない、そう思いつつもライブに行きたいと言ってみたところ、「それまでに合格していたら行ってもいいよ」と父親に言われました。
公立高校の受験は3月と書きましたが、父親が推していた高校は推薦が1月末、一般が2月末だったのです。
ということは、推薦で受かればバレンタインライブに行ける。
物事の正確な判断が出来なくなることでお馴染みの新規ハイ中の私は、行く気がなかった高校の推薦入試のために大奮闘するのでした…
ライブで釣られ、成績が常に右肩上がりだったので、評定は良かった私は無事に推薦で合格し、2/13赤坂BLITZのライブに行くことができました…
結果的にその学校に入って大失敗だったので、タイムマシンがあるなら「そんな理由で進路を決めるな!」と言いに行きたいところですが、めちゃくちゃに良いライブで良しとするしかない…
天国への手紙を聞いて号泣し、次の日Beautiful Daysを購入して、受験が終わった友人たちにCDを押し付け貸しまくったりしていました。
そして2/18に卒業をテーマに歌った4thシングル、GRAND FINALEがリリース。
当時『あなたの校内放送をぶっ壊す』という、学校名を入れたトークとGRAND FINALEを収録した音源を校内放送用にプレゼントしてくれる企画があり、担任に提案して拒否された思い出があります…(笑)
でも自分が卒業の年に卒業ソングがリリースされたのは嬉しかったなぁ…
人生で初めて3種買いしたのもGRAND FINALEでした。ついでに同日リリースだった眠り姫も併せて4枚のCDを新星堂で購入しましたよ
そんなこんなで無事に中学を卒業し、卒業式から帰宅した直後に校則を守ってぼっさぼさだった眉毛をそぎ落とし、翌日福家書店で行われたDAIGO POPの握手会に行ったのでした…顔の小ささに驚いて友人に「顔が拳くらいしかなかった!!」と話した記憶しかありません(笑)
ツアーの話は長くなりそうなのでとりあえずこれで一旦終わり。以上がJC編でした。
02.初ライブ
7月、時間(とき)の流れが早すぎ問題。
6月はまだ1/3しか終わってないよ~~~~つらいよ~~~~と喚いていたのにあっという間に豊洲じゃないですか…でもこれでこそ7月って感じがするので忙しいけど元気です。暑さにはやられていますが(笑)
ということで、BREAKERZに再び興味を持った後のお話。
当時わたしは他に好きなバンドがあり、中学生だったため今のように複数掛け持ちする余裕はなかったので、興味を持ったとは言えど音源を聞くレベルのぬるーい状態でした。
父親に「DAIGOのライブまで行きたいとか言わないよね?」と言われ「言うわけないじゃ~んwww」と返したのを覚えています。間違いなくそう返しました。
しかしそれが全てのはじまりだったのです…
父親はいつも勝手にチケットを取ってくる人でした。
私が二次元と決別するきっかけになったライブもいつの間にか父親が取っていました。
そして、そんな父親がある日突然わたしにBIG BANG! TOUR仙台公演のチケットを渡してきたのです…
ということで、BIG BANG! TOUR参戦が決まった私。実は過去の3作は買ったくせにシングルは買っていなかったのですが、ライブに行くし買っておくかということで、リアルタイムで初めて買ったのはBIG BANG!【初回限定版A】でした。
BIG BANG!【初回限定版A】には、7月に行われたデビュー1周年記念ライブのDVDが特典として付いていました。
予備知識なしでライブDVDを見た私、まあREAL LOVEに度肝抜かれましたよね。
これはデビュー2周年記念のライブ映像なので私が見たものとは違いますが…
REAL LOVE商法、というかBL商法は私は好まないのですが、予備知識ゼロで中学生が見て衝撃を受けないわけがないんですよ…
まあ中1までゴリゴリのアニヲタ(鋼、鰤、復活、D灰辺りを好んでいました)で、
二次元と決別する直前に生まれて初めて薄い本を手にした、言わば腐海へ片足突っ込んだ過去のある人間だったし、アンティック-珈琲店-の坊にゃん(人生初の本命麺)とみくがキスしている映像も見ていたので、特に抵抗等はなく
ただ前述通りギャップ萌えというか、「あのバラエティでふわふわしているDAIGOが…?!」という衝撃が大きかったです。
当時、学校嫌いだった私はお気に入りの映像を見て活力をもらってから登校するのが定番だったのですが、BIG BANG!発売日以降はこのREAL LOVEの映像を見てから登校していましたね…そんな中学生嫌すぎる…
ただ一つ声を大にして言いたいのは、寸止めの美学ってあるよねってことです!あと私は腐ってません!
そんなこんなで2008/12/14 Zepp Sendaiで初ライブ
Zepp Sendaiにはほかのバンドのライブで数回来たことがありました。なのでいつも通りドリンク代500円を持って行ったら「ドリンク代は込みとなっておりま~す」と言われ驚いた思い出…あれはバラエティでDAIGOを知った、所謂ライブハウス慣れしていない人の為だったのかなあ…
そんなびっくり案件から始まったライブでしたが、内容のほうもの驚きの連続でした。
・驚きその一 公演時間が長い
今までアンコール1回、トータル2時間半ほどのライブしか経験がなかったので、アンコールが3回(多分)のトータル3時間というだけでもだいぶ衝撃的でした
・驚きその二 予定外の1曲
何せ9年前の話なので記憶もだいぶ曖昧ですが、確かこの時はまだあの忌々しきもう一回コール文化がなく、一度捌けた上でのトリプルアンコールで、DAIGOの「予定になかったんだけどもう一曲やっちゃおうか!」からのステージ上で曲決め会議、という流れだったはずなんです。
つまらない大人になってしまった今では『元々やる曲決まっていたんだろう』などと考えてしまいますが、純粋だった中学生のわたしは『本当に予定になかったのに、急きょやってくれるなんて、サービス精神旺盛すぎる!伊達にジーミソじゃないな!』と思った訳です。最後の一文は当時のブログの原文ママです。
・驚きその三 AKI様がかっこいい
大変失礼ながらそれまで「AKI様ってロバ顔だよな」としか思っていなかったのですが、生で見たAKI様(今では絶対に呼ばない呼び方)はとてもかっこよかった。というかこの日のAKI様は松潤にしかみえなかったんですよね。でもかっこよかった。
(・驚き番外編 REAL LOVE)
これは別にドハマりした要因とかではないのですが、記憶に残っているので記しておきたい。この日のREAL LOVEは凄かった。
凄かったのですが、私の記憶違いかもしれないし、仙台公演に来ていた知人が存在しないので確認をする術もない。
私の記憶が正しければAKI様が跪いてDAIGOの下半(検閲)
とまあそんな感じで中学生の私には衝撃的で刺激的すぎる、まさにBIG BANG!が起きたようなライブでどっぷりハマるわけです。
どっぷりハマり、前略プロフィールで知り合い仙台会場で初めて会った友達と一緒に追加公演の赤坂BLITZにも参戦したのでした…そんな中3の12月…(笑)
ここから私の人生はBREAKERZ中心になっていきます…
01.出会い
危ない、早速放置しそうになった…(笑)
こっぱずかしいタイトルをつけてしまいましたが、BREAKERZとの出会いから振り返っていこうと思います。
わたしがBREAKERZに出会ったのは2008年の7月、DAIGOに出会ったのはもう少し前の、うろ覚えですが恐らく6月頃のことでした。
ちなみに当時のわたしはというと
・小5の春に鋼の錬金術師にドハマりし、アニヲタに
・小5の冬にORANGE RANGEに出会い、音楽に興味を持ち始める
・中1の秋に初めてライブに行き(しかも最前列)、二次元<<<バンドに
・中1の秋にたまたま雑誌(PATi PATi)で見かけたアンカフェに興味を持ち、スマイル一番イイ♀とSHOXXを同時に買い、バンギャ人生と重い厨二病の同時開催
という知り合いに見られたら一発で身バレする経歴を持った中3でした(笑)
そんな私とDAIGOとの出会いは、ORANGE RANGEの友達のリアル(今でいうTwitterのようなもの)でした。
友人がリアルで「DAIGO生理的に無理」といった内容を書いており(笑)、テレビを殆ど見なかった私はDAIGOが誰なのかさっぱり分からず、確かその日とても暇だったのでYouTubeで調べてみたんですよね…
すると、想像していた人とは違うなかなかのイケメンが出てきて、そのイケメンが30歳というのが当時14歳だった私には衝撃的で…こんな若々しい30歳いるんだと思ったのが興味を持ったきっかけでした(笑)今となっては30歳なんて全然若いよって思うけどね…
そして、そんな若いイケメンがロッカーを名乗っていて、バンギャの私は更に興味を持つわけです。
当時の私は華麗にバンギャを拗らせ、頭振るの楽しー☆というか、「激しい曲と切ない曲こそが至高!バラードは不要!」って感じの痛い子だったので、ロッカーと聞いてゴリゴリのロックサウンドを期待していたんですよね。
そんな私が初めてBREAKERZを見たのが7月(多分)に出たHEY!×3
トークの内容などは微塵も覚えていません。ただ記憶に残っているのは「…ロック???」という感想のみ(笑)
ファンの方なら分かると思いますが、このときに披露した楽曲は爽やかでポップなサマーチューン、SUMMER PARTYだったのです…
丁度その時の映像がありました!懐かしい~~~!!
今となってはライブでこの曲を演奏しないと不完全燃焼になるくらい大切な曲ですが、中学生の私がロックと聞いて思い描いていたイメージとはあまりにもかけ離れていたので、そこで一旦私のBREAKERZへの興味は薄れました。
…ここまで書いてライブに行ってました。そしてまさかのサマパをやらないライブ(笑)
でもまあ楽しかったので問題ないです。
話を戻して、私が再び興味を持ったのは9月のことでした。
時効+後に全部買いなおしたので許してほしいということで正直に書きますが、
2008年ってまだいろいろと無法地帯だったので、こう、アルバム単位でゴロッとゴロゴロ転がっていたんですよね…じっぷで…(笑)
それで1stアルバムのBREAKERZ、2ndアルバムのCRASH&BUILD、ミニアルバムのアオノミライの音源を手に入れたわけです。(半年以内に買いなおしたから許してください)
当時好きだったバンドが仙台でライブを行うということで、車で仙台に向かっていた道中で暇だし聞いてみるかと思いCRASH&BUILDを再生したこと、今でもはっきりと覚えています。
サマパは言ってしまえばバラエティのあのちょっとチャラくてゆるっとしたDAIGOそのまんまの曲と歌詞じゃないですか。
それを最初に聞いてしまったので、BREAKERZってそういう感じのバンドなんだなと思っていた私にはNO SEX NO LIFEは衝撃的すぎました…
BREAKERZを知らない人がこの長文を読んでいるか知りませんけど、もし居たとしたらなかなか衝撃の曲名ですよね。私も今打ち込みながら改めてすげーなと思いました。
バリバリとした重めのギターに乗る、バラエティのDAIGOからは想像もつかないような攻めた…というか直接的すぎる歌詞(笑)そしてサビでは曲名連呼…
びっくりしながらほかの曲も聞いてみると、ゴリゴリのサウンドに攻めた歌詞の曲、もしくは心臓を握りつぶされそうな悲痛なサウンドに未練タラタラタラちゃんずな歌詞の曲が多く、前述通り激しい曲と切ない曲が好きだった私は一発K.O.でした
プラスバラエティとのギャップにやられ、DAIGOファンに…(笑)
出会って数年の人には驚かれるかもしれませんが、わたくし最初はDAIGOファンでした(笑)大体どこのバンドでもボーカルから入って楽器隊に流れます
そんな感じの出会いでした。まあ私がハマった後はバラエティ色の強い、ギャップがあまりない歌詞が増えたんですけどね…ギャップ萌えって言葉知ってますか?!ってDAIGOさんに言いたいと9年間思い続けている…(笑)
出会いからこんなに長文書いていて、現代までたどり着けるのでしょうか…まあとりあえず出会いの話はこれでいったん終わり。
とっても余談ですが、中学生の私がどうやってライブに行っていたかというと、ひたすら成績で釣られていました。〇位以内だったらライブ、〇点以上だったらライブと…(笑)
そのため中1から中3の終わりまでずーっと成績上がり続けていましたよ。まあそのおかげで物に釣られないと勉強しないダメ人間が生まれるのはもう少し先のお話です…
00.
初めましてこんばんは、BREAKERZファン歴9年のわたしです。
確かこのブログは1月からの10番勝負が始まる前に、対バン相手のファン向けに少しでもBREAKERZを知ってもらえるようなブログを書こうと思って立ち上げたのですが、立ち上げた数日後に色々とあってそのまま放置していたという…(笑)
せっかく久々にブログ作ってみたし、もうすぐ10周年だというのに私はいつまでも2011年が百歩譲っても一昨年に感じるくらい時の流れが止まっているので、ファン歴9年という月日の流れを受け入れるためにBREAKERZとの思い出を時系列順に書いてみようかなと思います。
昔やっていたブログも、ここ数年廃人の如く利用しているTwitterも、脳裏に浮かんだ口語文を推敲せずに勢いだけで書いていますが、ここは多少文章としての意識を持って書くつもりは…あります……
が途中で感慨深くなって勢い任せになる可能性大です…(笑)
語彙力も文章力もないから人の目に触れることもあまりないだろうけど、なんとなく少しだけ外に向けて書きたくなったのでアメブロのアメーバ限定や鍵垢のTwitterじゃなくてここを選んでみました。
別に私はツアーは多くても3本くらいしか行かないし(活動休止直前のツアーは除く)、リリースイベントも3年に1度しか行かないので、ゴリッゴリのガチ勢ではないけれど、そんなガチ勢じゃなくてもこれ程までに人生に関わってきているということを、別に誰かに知ってほしいわけでもないのだけれどこの節目の機会に改めて書きたくなったので…
夢を叶えていく様子をリアルタイムで追うことが出来たのも、多感な学生時代にずっと一番好きなものであり続けたということも、きっと最初で最後だと思う、私にとって大切なバンド、BREAKERZとの9年間を振り返っていきたいと思います。